『富山大学工学部紀要』の全巻号をデジタル化公開

『富山大学工学部紀要』の1巻1号 (1949年刊行)から58巻(2007年刊行、その後休刊)までの全巻号のデジタル化を行い、富山大学学術情報リポジトリから公開しました。本学工学部の歴史とその時代の技術の動向を反映したアーカイブとなっています。興味深い記事・論文が多く含まれていますので、ぜひご参照ください。

『富山大学工学部紀要』は、戦後間もない1949年12月に『富山大学高岡工業専門学校紀要』の1巻1号が刊行され、1951年12月刊行の3巻1号からは『富山大学工学部紀要』として刊行されました。

一般的に理工学分野の紀要(大学が発行し、無償配布される雑誌)は、学会誌や商業誌の発展にともない、現在ではその役割を終えたとされています。『富山大学工学部紀要』も2007年の58巻を最後に休刊しています。しかし、戦後しばらくの間は紀要は学術情報流通に大きな役割を果たしており、多くの重要な論文が掲載されています。理工学分野は研究の進展にともない古い論文は価値を失っていくものとされていますが、本紀要に掲載された記事・論文は、当時の社会情勢や技術の動向を反映しており、歴史的な価値を有しています。また、デジタル公開によって地域社会の人々の目に広く触れることによって、新しい観点から利活用されていく可能性を有する内容を含んでいるように思えます。

たとえば、1巻1号に掲載されている養田実元教官の「再生銑鉄熔製に於ける珪素の導入に就いて」という論文には、「現在のような銑鉄不足時代には戦災地より多量に発生した鋼屑を銑鉄として再生させる事は極めて有意義であるばかりでなく緊要な事でもある」との記述があり、戦後の困難な状況下、時代の要請の下に行われた研究であることが読み取れます。また、塚島寛元教官による魚津埋没林の石炭化行程に関する研究論文は、1954年から1987年の退官に至るまでの長期にわたって関連論文が掲載されており、戦後の石炭化学の隆盛の中で、地域の貴重な自然遺産を対象として行われた研究です。魚津埋没林は富山県魚津市の魚津埋没林博物館で実物を見ることができますので、これらの論文を参考にしつつ、見に行かれてはいかがでしょうか?

その他にもその時代に必要とされた技術をめぐる研究や地域と密接な関わりを持った多くの論文があり、読み直すことで、新しい発見があるように思われます。『富山大学工学紀要』のデジタル化公開を機に、本紀要が富山大学並びに地域にとっての貴重なアーカイブとしてとして将来にわたって保存され、新たな光を浴びる機会をもたらすことができれば幸いです。